食べ物のはなし

　子供の頃、この言葉には特別な響きがあった。
　「バナナ」
　それは高くて滅多に口にできないものだった。果物屋にあったが、一段高い場所に置かれ、かごなどに入れられてそこだけ金色に輝いていた。
　普通の家の子供たちにとっては、ただ眺めるだけの遠い存在。リンゴやミカンなどとは別格の、「裕福」の象徴だった。
　「バナナを食べる」
　だからそれは、大変な贅沢だった。
　ある時、そのバナナが私たちの手に入った。母が入院した時に、誰かがお見舞いに持って来たのだった。
　私たちは貴重なバナナを、しばらく大事にとっておいた。そしてその内の一本を、学校の遠足に私は持って行った。もう大分黒くなっていたが、それを丁寧に紙に包み、リュックの中に入れた。
　お昼になって、広場で弁当を広げた。初夏の太陽が暑いくらいだった。私は弁当を食べ終えると、おもむろにバナナの包みを開けた。
　「これがバナナだ」
　私はいとおしむようにそれを手に取った。
　かなり軟らかい。
　私は黒い皮を剥き、待望のバナナをゆっくりと口に運んだ。しかし、
　「グニャ」
　頼りない歯ごたえ、食べごろはとうに過ぎていたのである。
　私にとっての初めてのバナナ。今では存分に食べられるバナナを見ると、この時の一本のバナナが時々懐かしく思い出されるのである。