哀しみは映画と共に

　桜も散り、新緑の美しい四月の中頃、海の見える旅館に宿をとった。母と妹、それに妻が一緒だった。私の絵の個展があって、それを見にきた母と妹のためにと計画したもので、妻の発案だった。毎年個展をしていて、それに合わせて母と妹が東京から茨城へやってくる。我が家に泊まったり、日帰りだったりしていたが、今回は旅館にみんなで泊まることにしたのだった。
　夕食を一緒に取り、その後、私たちの部屋で団欒し、そして母と妹は彼女らの部屋へと戻っていった。
　フランス映画に「家族の気分」というのがあった。毎週金曜日、父から店を継ぎ、カフェを経営している長男のところに家族が集まってくる。母は健在で、次男はコンピュータ会社の重役、その会社に未婚の妹が勤めている。彼ら四人に、長男、次男の嫁二人が加わって、家族六人で、町唯一の一つ星レストランに晩餐に出かけるのが習慣になっていた。
　その日は次男の嫁の誕生日で、その上、会社重役の次男は、夜七時のニュース番組に出演することになっていた。といっても、そのテレビ出演は、ローカル局の「コンピュータ産業とわが県の景気」というコーナーで、ちょっと話をするだけのものだった。しかし彼は大張り切り、母は数日前からありとあらゆる知人に電話をかけまくっていた。にもかかわらず、長男はいつもの癖でスポーツ番組が終わるとテレビを切り、それを見るのを忘れてしまった。実は、彼の妻が戻って来ず、悪い予感に気持ちが落ち着かなかったのだ。
　番組を自宅で見た妹が一足先に長男の店にやって来て、食前酒を飲みながら待っている。古ぼけたジュークボックスからは音楽が流れている。店のバーテンダーが彼女のそばにやってくる。二人は人前ではよそよそしくしているが、二人だけになると親密そうに話す。そんなコソコソした関係が嫌で、彼女はこんな関係は終わりにしたいと彼に言う。その彼女は今日会社で、普段からしつこい上司を怒鳴りつけ、気が高ぶっていた。
　次男が妻と母を乗せて車で店に到着する。話題は彼のテレビ出演の話になるが、それを見逃した長男は見なかったとは言えず、それに不器用に口を合わせる。次男は、妻の誕生祝いはみんなが揃ってからレストランでと言う。しかし、長男の妻が現れず、次男の妻は段々不機嫌になる。
　長男に妻から電話がかかってくる。あなたに愛想をつかしたので一週間ほど考えたいとの家出宣言だった。彼はショックを受ける。が、そのことは内緒にし、彼女は戻ってくるから先にレストランに行ってくれと頼む。しかし、戻ってくるなら待とうと皆は動かない。
　時間が経ち、待つほどに家族同士のひずみが顔を出し始める。
　未婚の妹のことが話題となり、彼女が前に話した婚約者とは、その後どうなのかと母が聞く。店のバーテンダーは自分のことかと顔を赤らめ、その妹に感謝するが、あなたのことではないと、彼女は否定する。
　テレビ出演した次男は、その結果が気になり部下に電話する。会社の昇進にも影響するので、彼は必死である。
　一方、窮地に陥った長男は行き場を無くし、地下室に閉じこもる。事情を知っているバーテンダーは、妹にだけその真相を話す。
　その長男の妻の家出を家族が知ることになり、一家はレストラン行きをとりやめ、長男の店で誕生祝いをすることを決める。夏の夜の闇が深まる。
　母親がトイレに行って階段から転げ落ち、大騒ぎになる。妹が昔の家族の写真に見入り、父が一緒の子供の頃を思い出す。長男は車で、妻が泊まっている彼女の友人のところへ行く。母と娘がやりあう。次男ばかり可愛がった母の育て方に娘は不満があった。
　長男が戻ってきて、妻が会いたがらなかったと報告する。次男が妹を責める。彼女が上司を怒鳴ったことで、彼女の職も、そして彼の出世にも影響しそうになってきたのだ。激しく言い合う次男と妹。言い争いはバーテンダーを巻き込み、長男にも飛び火。兄弟は互いに相手の自分勝手を責める。
　帰り支度を始めたバーテンダーが妹を外に誘う。外に出ると二人は抱き合い、キスをする。それをドアのガラス越に見る家族。母が疲れたから帰ろうと言い、次男夫婦も帰路につく。
　皆が帰り、長男は店の灯りを消し、ジュークボックスのところに行って、ドニゼッティの歌劇「愛の砂漠」より「人知れぬ涙」をかける。音楽が流れ、それにじっと耳を傾ける長男。
　電話のベルが鳴る。妻からだった。彼はいたらなかった自分を詫び、彼女も彼が気にかけてくれたことに礼をいう。
　夏の夜は更け、バイクが一台、店の前の通りを走り去っていく。

　母と妹はよくしゃべった。聞き役に回った妻は少々疲れたようだったが、何事も無く一日が終わった。以前東京に住んでいた時は、弟夫婦も加わって、定期的に我が家に集まっていた。特にすることもなかったので、麻雀をして時間を潰すことが多かったが、その麻雀でも問題の種は生じた。会えば、何事もなく、というわけにはいかなかった。
　しかしその時期は過ぎた。その間妻が家出をすることもなく、そして現在に至っている。その幸せを思う。
　もう寝入ったのか、妻の軽い寝息が聞こえてきた。灯りを消し、私も横になった。目を閉じると、小さく波の音が聞こえた。

　１９９６年　フランス映画
　監督　セドリック・クラビッシュ