哀しみは映画と共に

　「では、自己紹介をしましょうか」
　コンサートの打ち上げの席で、進行役となった私は乾杯の後でそう言った。その日は「マンドリンとギターと歌の夕べ」と題した音楽会があり、それが終わって演奏者らとコンサート関係者が居酒屋に集まっていた。全部で十四、五人で、そのほとんどは互いに知己であったが、初めての人が何人かいた。
　「じゃー、そこから」
　私は向かい側を指した。そこには私の妻とその姉妹四人が並んで座っていた。やや間があって、妻がまとめて紹介を始めた。
　「となりが長女で永久里帰り。そのとなりが三女で離婚、その次が四女で未亡人。二人は双子。私は二番目で、あれが夫。私だけ普通」
　彼女らの現状を端的に示す紹介に会場が沸いた。「どんな人生相談にも応じます」と彼女は付け加えたが、それだけの多様な経験を彼女らは積んでいた。
　イギリス・オランダ合作映画に「ダロウェイ夫人」というのがあった。五十歳を過ぎて自らの人生を振り返るという映画である。
　舞台は１９２３年６月のロンドン。下院議員夫人であるクラリッサ・ダロウェイが、自宅で催す夜会のために花を買いに出かける。その時に、かつて親しかった友人のことを思い出す。
　三十年前の少女時代、彼女は情熱的だった。古い習慣に挑戦し、世界を変えようと思っていた。彼女が思い出したかつての友人は、その彼女と一緒に世界を相手に危険を覚悟で生きてゆこうと願っていた。だが彼女は、彼ではなく、紳士的で、彼女に安らぎを与える今の夫を選んだ。彼女はロマンチックな友人との波瀾に富んだ人生ではなく、彼との平穏な人生を選んだのであったが、その選択が正しかったのかと今になって自問する。彼女は諦めたように言う。
　「もうクラリッサじゃない。結婚話もなく、子供を産むこともない女。ただのダロウェイ夫人」
　その彼女の前に、少女時代のあの友人が突然現れる。彼はインドへ行っていたのだが、離婚弁護士に会うため五年ぶりに戻って来たのだった。彼のインドにいる女性は人妻で、子供もおり、泥沼の関係になっていた。彼はその情けない気持ちを彼女の前にさらけ出す。もう大分月日が経ったが、彼の彼女を思う気持ちは今も変わらない。そんな彼を、彼女は複雑な気持ちで夜会に招く。
　町には戦争の影があり、幻影に苦しむ青年が自動車のパンクの音に怯える。彼は退役軍人で、その音に戦場を思い出すのである。
　飛行機のエンジン音が聞こえ、突然彼が叫ぶ。
　「こっちに来るな！」
　兵士の足元で爆弾が炸裂し、兵士が両手を挙げて倒れる。立ち尽くす青年。
　現在と過去が錯綜する。
　精神科医に重症だと診断されたその青年は、田舎での長期の隔離療法を強要される。しかし彼らが彼を連れにやって来たとき、彼は下宿の窓から飛び下り、命を絶つ。
　夜会が始まり、ダロウェイ夫人は心配な面持ちで招待客を迎える。気持ちが落ち込んでいる彼女は、パーティーが失敗に終わるのではないかと危惧し、夜会を開いたことを後悔する。そこへ旧友たちが現れ、どうにか彼女もパーティーを楽しみ始める。しかしそこに精神科医とその妻が現れ、戦争神経症に苦しんでいた青年の死を声高に話す。彼女は青年の純粋さと、その悲劇的な結末に心を動かされ、平静を取り戻すためにバルコニーに出る。
　割り切れない現実。思うに任せない人生。その彼女の目に、向かいに住む老女の穏やかな姿が映る。その気負いの無い、ゆったりとした姿を見て、彼女は人生をあるがままに受け入れようとし、再びパーティーに戻る。

　四人の姉妹は明るく笑っている。割り切れない現実があり、思うに任せない人生だが、それを笑い飛ばしている。その余りの明るさに、初対面の人たちは、
　「あの話は冗談なの、本当なの」
　と後で確認したほどだった。
　時にもがき苦しみ、その渦中に私も引きずり込まれることがあったが、彼女らにしても私にしても、人生をあるがままに受け入れるしかなかった。

　１９９７年　イギリス・オランダ合作映画
　監督　マルレーン・ゴリス