哀しみは映画と共に

　「昔はいい暮らしをしていたのですね」
　不用品を引き取りに来たリサイクルショップの人が、処分に出したベッドを見て言った。新婚の頃使っていたフランスベッドで、二十七、八年前に購入したものだった。物の値を見るのが仕事のその人は、ベッドと家を見比べてそう思ったようだった。
　ベッドの置いてあったその家は建ててから三十年以上が経っていた。二十坪ほどの平屋で、もうかなり古くなっていた。妻の母親が住んでいたのだが、二、三年前に老人介護施設に入り、空き家になっていた。ベッドそのものは、その後の転居で置き場に困ってそこに置いてもらい、母親が使っていた。
　そこに私たちが住むことになり、もう使うことのないベッドなどの処分をすることにしたのだった。妻にとっては懐かしい場所への回帰で、物を整理し、多少の改築をする予定だった。
　アメリカの映画に「ローマの休日」というのがあった。ヨーロッパ最古の王室の王位継承者である王女が、退屈な公務の忙しさから逃れるため、宮殿を飛び出し、一日市民の生活を体験するという物語である。
　親善旅行でロンドン、パリなど欧州各地を訪問していた王女は、分刻みのスケジュールと、用意されたスピーチを披露するだけのセレモニーにうんざり気味だった。就寝の時間になると軽いヒステリーを起こし、主治医に鎮静剤を打ってもらうが、気が高ぶっていてなかなか寝付けない。彼女はふと思い立って、宿舎である宮殿をひそかに抜け出す。夜のローマをぶらぶら歩いていた彼女は、やがて鎮静剤が効いてきて、道端のベンチで寝込んでしまう。
　そこにアメリカ人の新聞記者が通りかかる。彼は若い娘がベンチで寝ているのを見て、何とか家に帰そうとするが、彼女は意識が朦朧としていて埒があかない。彼女をそのまま放っておくこともできず、彼は彼女を自分のアパートに連れて帰り、一晩の宿を提供する。
　翌朝、まだ眠っている彼女を部屋に残したまま、彼は新聞社へ向かう。そこで、王女は急病で記者会見は中止との報を聞く。彼は、彼女がその王女であることに気付き、これは特ダネになると喜ぶ。
　アパートで目を覚ました彼女は思いがけない事態に驚くが、せっかく手に入れた自由をすぐに捨て去るのはもったいないと、街をのんびりと散策する。彼に借りたお金でかわいいサンダルを買ったり、ヘアサロンに飛び込んで長い髪をショートにしたりと、ごくふつうの女の子のように振舞う。
　彼女を追ってきた彼は、その彼女に偶然会ったように装い、今日一日ローマを楽しむように勧める。自分が新聞記者であることは伏せ、カメラマンを誘って彼女のローマ見物の案内を買って出る。二人乗りのスクーターで街中を疾走し、「真実の口」や「祈りの壁」などの名所を訪れ、その様子をカメラマンが彼女に気付かれないように撮影する。夜は船上パーティーに参加し、彼女を捜しに来た情報部員が会場に現れると、彼と彼女は情報部員相手に大乱闘を繰り広げ、一緒に河に飛び込んで彼らから逃れる。
　つかの間の自由と興奮を味わううちに、二人の間に恋心が生まれる。しかし王女は祖国と王室への義務を果たすため宮殿へ戻り、彼は彼女との思い出をけっして記事にしないと決意する。
　翌日、宮殿で王女の記者会見が開かれる。彼女は列席者の前に進み、その彼女に、彼らに同行したカメラマンが撮影した写真全ての入った封筒をそっと渡す。王女が記者の前にやってきて、二人が見つめ合う。席に戻った彼女は、ローマは永遠に忘れえぬ街になるでしょう、そう言って微笑む。その彼女の瞳に、かすかに涙の跡が光っていた。

　昔はいい暮らしをしていたのですね。フランスベッドを見てリサイクルショップの人はそう言ったが、決してそんなことはなく、借家住まいが中心で家は全て中古だった。その分自由もあって、仮住まいを含めて家を六回変わり、新しい環境を楽しんだ。その間夫婦の間で多少の諍いはあったが、妻が怒って実家に帰ることもなく、そして今度その彼女の実家に夫婦で住むことになった。こじんまりしていて、新婚の頃に戻るようであった。
　それは映画のような、切なく美しい恋とは違っていたが、きっと幸せなことであった。

　１９５３年　アメリカ映画
　監督　ウィリアム・ワイラー